昨年度の修道院便りで、私は何の気なしに、自分のそれまでの人生はアクシデントだらけで あったにもかかわらず、神さまはそれらを通して真の幸せに導いてくださった、 という趣旨の文章を、初誓願宣立25周年に当たって書きました。
 一年後の今、確かにその通りである、という意味では今年度も予想通りで あったことには変わりがありませんが、この一年間に自分自身の身に 起こったことは、まったくの想定外、つまり青天の霹靂の連続でした。
しかも2022年になって早々、始まったのです。

 新年早々、フランスの本部修道院の本修道会総長より、メールが届き、 電話で話したい旨、連絡がありました。
はて?いったい何事かしら、とよくわからないままに電話をしたら、
突然「いったい何事か!しばらく白子の共同体を離れなさい!」
「はあ?」
・・・詳しい事情は書けませんが、とにかく総長命令ですから従わないわけにはいかず、 とりあえず家族のもとに行くことになりました。 幸いにも、東京都内に住む弟夫婦が、二階に一部屋を空けてくれましたので、 二月二日、主の奉献の祝日に、三カ月くらいの予定で出発しました。

 修道院に入会して約30年もたってしまった後に、ごく普通の家庭生活の中に 入るのは思った以上に大変なことで、しかもこの大変さは弟夫婦にとっては さらに大変なものとなってしまいました。というのも(自分では年齢相応には 成長しているつもりだったのですが)、社会の基準からみたら、考えられない ほど世間知らずの礼儀知らず、私としては一生懸命迷惑をかけないようにした つもりでも、毎日とんでもない失敗を繰り返し、弟夫婦の生活にとんでもない 負担になってしまいました。それでも、二人は何とか我慢してくれていたのです。 そしてできる限りのことをしてくれました。

 そして私の方がどうしようもなくなり、結局三月十一日に修道院へ戻る許可を 総長から得ることができました。
 ただ、この間、長年会うことのなかった親戚と再会することができたり、 私のせいでお風呂が故障してしまったため、初めて「銭湯」なるところへ 行くという体験をすることができたりはしました! (入り方を間違えないようにと、気の小さい私はあらかじめ外国人用の銭湯 の入り方についてのYouTubeで勉強してから行きました)

 さて、何とか修道院に戻ることはできたものの、私の中では混乱が続いていましたので、 あることをきっかけに、今度は深夜に救急車のお世話になる羽目に陥りました。
 まったく自分でも呆然とするほど、姉妹たちだけでなく、他のいろいろな方々にも ご迷惑をおかけしたわけです。
 そして、五月に総長が来日した際には、山ほどお叱りを受けることとなってしまいました。

 しかし、神さまは私がどうにもならない状態になっていることを 深く憐れんでくださり、 七月に軽井沢で行われた修道女のためのある研修会で、指導された神父さまのお話と一緒に 参加していたいろいろな修道会の姉妹たちの分かち合いを通して、
「自分がしてきたことが何であったか」を教えてくださったのです。
ちょうど夕方のごミサの時、外では雷まで鳴っていましたが、 今までの生き方がガラガラと音を立てて崩れてしまい、自分の身勝手さ、 言うことやしてきたことのあまりの格差、自己防衛にすぎなかった 正義感、などなどが床一面に転がっているのを見た思いがしたのです。
 もしこれだけを見たならば、私には絶望しかなかったでしょう。 けれど、その時に、福音書の中のさまざまな場面が心に浮かびました。 迷い出た羊を探しに行く羊飼いの話、放蕩息子の話、姦通の現場で捕え られた女の人とイエスさまとの対話、などなど。

 そして、今まで私のために助けの手を伸べてくださった人々、 私を裁いたり断罪したりした人はいなかったこと、私を大事に してくださった周りの人々、そして、イエスさまの言葉
「誰もあなたを罪にさだめなかったのか?私もあなたを罪に定めない。 行きなさい、これからはもう罪を犯してはならない」……

福音書に書かれたことは、まさに私自身のことだったのです。

 これを書いている現在も、いまだに私は回心のはじめにいます。 神さまのお望みを生きるには、遥かに遠いところを転びながら やっと歩いているところなのです。
それでもいつかは、詩編にあるように「神の慈しみをとこしえに歌おう!」 という賛美の歌声の中に加わらせていただきたいと希望しています。