Sr.大場 幸子さちこ
 毎週水曜、夕食の片づけをした後、楽しいひとときを過ごします。11 人のシスタ ーが順番にテーマを提供して、そのテーマに沿って1人1人わかちあうのです。実 にシスター達はためらうことなく自分を表現します。時間の制限がありますから充 分に言えませんが、2回3回となることがあります。最近は“旅の思い出”、“海の 思い出”、大阪カトリック時報の QR コードから“わが命つきるとも”の映像を見たり、 “心に残るいただいたことば”等をわかちあいました。その中で“私をたとえると○ ○である”というテーマは大変おもしろかったので、今年の修道院便りの記事にし ました。紙面の都合で4人のシスターのわかちあいを紹介します。

 シスターY。私をたとえると“路傍の石”である。ほとんど注目を集めることがない。 しかし、心の傷ついた人がふと、たまたま、ごくたまに私に目を留めるときがあると、 どういうわけか平和と癒しの恵みを受ける。
 シスターF。私をたとえると“竹”である。御父に向かってどこまでもまっすぐ に伸びる竹。「地震の時には竹林に逃げなさい。」と言われるくらい。竹はどこを切 っても同じ。そして切り口がスパッと美しい。雪が降っても風が吹いても竹はしな やか。
 シスターM。私はカタバミのようなものである。どんな厳しい生育環境であっても、 また絶え間ない草取り攻撃にあってもめげずにどんどん根を張り、花を咲かせるほ ど。しかし、ひょっとして万が一、このコロナ禍で疲れ切ってトボトボと下を向い て歩いている人にエネルギーと希望を与えるきっかけになれるかもしれない。

 シスターO。私をたとえると“牡丹の花”である。大らかに咲き、まわりを明る く平和な雰囲気にする。花ことば通り、“風格”がある。花弁は薄く、その繊細さを 私は持ちあわせていないけど。
<中国の名花。中唐以降は花王とか、花神とたたえられる> (『花おりおり』より、湯浅浩史著、朝日新聞社) 神様がお造りになった私と牡丹の花はなんと美しいのでしょう!

 たとえの内容として、動植物、天体、建造物、仏
像等、このテーマでご家庭、職場、 施設、共同体でされたらきっと楽しく、あーなるほどと合点がいくと思います。  神様が創造された1人1人、たとえの根拠と提供できるタレントとか資質をあ らわすと、お互いに豊かになって神様を賛美する歌が満ちることでしょう。