Sr.Francisca ( 岡島 静代) イエスの復活のあと、弟子たちはイエスの指示に従って、首 都のエルサレムから故郷のガリラヤへ帰りました。そこで以前 生業としていた漁を始めました。 漁は彼らにとって、ごく当たり前の日常だったのです。イエ スの逮捕、十字架刑そして師の復活という彼らの人生にとって、 すべてが今年の夏の日曜日、私は熱い日差しの下、田んぼを歩いていました。(といって も歩行器で)上記の福音の箇所を思いめぐらしながら歩いていました。とても暑い のですが、白子の夏はいつも風が吹いているので、その風が心地良く、暑さを忘れ させます。稲刈りを待っている田んぼ、白鷺の舞う姿、用水路には鯉やメダカやド ジョウなどが泳いでいる、のどかなあぜ道。遠くに農作業している人影が一人二人 と見えました。 その時です、私の心の深いところから「イエスがおられる!復活の イエスが!」という叫びのような思いが湧き起りました。神々しい姿でもなく、光 り輝くイエスでもなく、農作業している人の中に私はイエスを観たのです。 漁をしていた弟子たちがイエスの姿を見た時の驚きが伝わってくるような思いで した。そうなのだ、主イエスと出会うのは毎日の日常の中なのだ、私の心は深い思 いに満たされ、そのままあぜ道を歩き続けました。一緒に生活する姉妹たちの中に、 すれ違う人の中にイエスを観る。それは、いつでも出来る事ではないかもしれない。 それでも、一瞬の体験として心に刻まれました。 イエスとの出会いは平凡な生活の中で起こるのです。ただ、そのためにはあまりに も外的なことに囚われてしまっていたら気が付かないのかも知れません。 周りの小さなことに感動する心、姉妹たちのちょっとした優しさや一生懸命働く 姿に感動する心、空、風、花、木々の美しさや移り変わりに感動する心、外部から 来られる人々の真摯な姿に感動する心などを通してイエスの姿をみつけることがで きるのでしょう |