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聖 務

Sr. 金井 玉枝


 本会が岐阜県多治見市の神言会の修道院に借り住まいしていた時期に入会した私は、格調高い典礼にあずかり大変幸せでした。

 沈黙と潜心の漂うたたずまいで、聖堂に入り祭壇と御聖櫃に礼をすると、神の現存が感じられました。歩行器や杖をつきながらシスターたちが喜びにあふれた笑顔で所定の歌隊席につくと、オルガンによる楽器の伴奏で聖務が始まりました。キリストの内に一つとなって捧げる詩編唱和、み言葉の朗読、共同祈願、主の祈り、そして結びの祈願で終わる聖務にあずかり、生きる原動力をくみ取りました。

 詩編唱和のメロディーは、高田先生の曲と他の大半は先輩の姉妹方が作曲したもので、固有のすばらしいものばかりです。聖務はまた、キリストが御父に奉献された記念のミサの延長でもあり、私たちはその奉献にあずかってご聖体をいただき、キリストの秘儀を黙想し、キリストを証して行けるように養われます。

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 日に何度も聖堂に集まって捧げる時課の典礼はまた、時を聖化します。私たちは身体的弱さから夜中には起きませんが、一般に隠世修道者は真夜中に起きて聖務を捧げます。そしてこの地上の至るところで聖務は捧げられ、絶えざる祈り、神との不断の交わりが実現されているわけです。

 宝塚時代には、畳敷きの聖堂で三味線、琴の伴奏で聖務を捧げていました。多治見・白子時代に教会の祈りが出版され、15年間くらいはそれを用いました。
 その時、点字版はまだなかったので、私は入会するとその点訳に取り掛かり、フランス人の姉妹から製本の仕方も習い、完成させて、勤めを果たせるようになりました。点字の考案者ルイ・ブライユの国フランスにある本会の母院では、点字の聖務の本が印刷・製本される作業所も図書室も備わっていました。

 1984年ベネディクト連合に加入し、1990年からは白子修道院でもモナスティック典礼を取り入れ、新共同訳聖書が使われ、豊かな表現になりました。

 今は、パソコン点訳で一度に何冊も本ができる時代です。多くの人が聖務で神を讃え、キリストに出会って救われることを願います。