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神の導かれた道

Sr. Francisca 岡島 静代


 預言者エレミヤが次のように言っています。
「主の言葉は私の心の中、骨の中に閉じ込められ、火のように燃え上がります。押え付けておこうとして、私は疲れ果てました。私の負けです。」

 この大預言者とは事情は全く異なりますが、20歳前後に修道生活への望みが火のように心の中に燃えていました。私はそれを消そうとして、自分に言い聞かせていました。「いやいや、私は普通の人生を送りたいのだ、結婚して子供を育てたいのだ、そんな変わった生き方なんてしたくないし、おまけに私なんぞはそんな生活に耐えられないだろうし・・」と。
そして神様にもお願いしました。
「もうこの望みを消してください。両親を悲しませたくありません!この思いと戦うのに疲れてしまいます。」
しかし否定すればするほど私の望みは強くなる一方でした。まるで大恋愛みたいな感覚でした。(大は付きませんが私も十代で初恋の体験があるのです!)
「ひょっとして、これって、神さまへの恋?」
 そして私は負けました。それを受け入れ、次の段階へとステップを踏んでいきました。 それからは周囲の反対と両親の苦しみと悲しみを身に受けながら、ただ一途に“恋”の道にひた走りでした。
ちなみに、その後随分経ってから両親は私の選択した道を喜んでくれました。

 紆余曲折しながら、1973年に多治見市にあった本会の修道院に来た時当時、あまりにも貧乏でびっくり!
「経済高度成長期なのに・・」
でも心の深いところでは喜びに満たされました。
   .  不便な生活の中でも、生まれて初めて深い充実感を味わいました。それまで、元気で楽しい生活をしていても心の深いところでは満たされていなかったと気づきました。

 それから40数年が経ちましたが、自分の欠点や弱さと直面しながらも、祈りを学び、すべての出来事の中に神の恵みを見ることを学んできました。この道は神様が導いてくださった、また導いてくださっている、と実感しています。この人生を与えてくださった神に心から感謝しています。
 今、この心の幸せと喜びを次の世代に渡していきたいと切に願っています。
 初めは苦しいことや辛いこともあるでしょうが、主イエスが招いてくださったなら、それを乗り越える力も与えてくださいます。
そして、何よりも自分との出会いがあり、神様との出会いがあり、十字架のイエスとの出会いがあり、祈りの中で家族、友人、世の人々との絆をさらに強めていきます。
 もちろん挫折はあり、絶望もあり、落胆もあります。でも毎日の変哲のない地味な生活の中で心は広がっていくのです。
 この文集を読まれる方の中で召命で迷っている人は、是非、主に信頼して沖に漕ぎ出してください。

 そこで主と出会い、道が示されるでしょう。