一枚の紙 Sr. 大場 ミサが終わり、今日は本を借りて帰ろうと思い、教会の図書室に行きました。入口に立って一歩足を置いた時、閲覧台の上に一枚の紙が斜めに置かれているのが目に入りました。風が入れば落ちそうでしたので置きなおそうとそこへ行ってそれを手にしました。 その紙は上質のものではなかったと記憶しているのですが、中央の上に林の上部だけが映った白黒の写真が写っていました。そこに書かれている文面は、フランスで創立された会が日本に創立するために寄付を願うと同時に会についての紹介が書かれていました。私は洗礼を受けて数年しかたっていませんでしたので修道召命など全然思い及びませんでした。 そのときは、そこに書かれていることにざっと目を通すという感じで見たあと、それをそこに置くと本も借りずに帰りました。 その後本会の存在を知ったのは数年後のことで、友達が黙想に行くと言って、多治見にある障害者でも入れる観想会に行くと話してくれました。私は「えっ!」と声を出してしまいました。「私もそこに行くわ。」と言って二泊してきました。このことが直接本会と関わり、なによりもあの嘆願書と繋がった所以です。その後も何度か多治見に行きましたが、まだまだ入会という気持ちにはなりませんでした。 何年か経って私の心が動いて入会の願いを出しました。そして今に至っています。 |
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ある日、事務の仕事を手伝っていて、創立のためにご寄付をくださった方々の名が載っている帳簿を目にしました。その中に三軒茶屋教会の信徒の方々の名前を見出しました。 私はびっくりして、感謝と喜びで胸がいっぱいになりました。どの方もよく存じあげている方で、信仰深い方達でした。今は天国から私たちのために祈ってくださっていることでしょう。 日本に本会を創立するために奔走したシスター・山本愛子は三軒茶屋教会にも行ってご寄付を募られたことがわかりました。 今振り返ってみますと、あの一枚の紙から私の召命があったのだと思います。 神様のお計らいは私自身についてだけでも言い尽くせません。 私達は世界の平和のため、人々の幸せを願って毎日祈りを捧げています。又、恩人、友人、家族のために毎月一回感謝をこめて意向ミサをお願いしています。亡くなった方々のためにも同様にお願いしています。 招かれた場所で、喜びと感謝をこめて、み名を賛美できることは、なんと素晴しいことかと思います。 “あなたは、主がその名を置くために選ばれる場所で・・・”(申16:2) |