メニュー

私が修道者に?!

Sr. Maria Ignatia 塩澤 幸子


 この修道院にいる一人一人に神からの呼びかけがあり、それに応えて奉献生活の道を選んでここに集まった姉妹たち。
私もその一人なのですが、キリスト者としての信仰生活も短く、死別とはいえ結婚歴がある身分で、お金、成功、名誉、快楽を追い求め、自由奔放に生きてきた私が修道者に?

 気に入った家を売却し、愛着のある多くのモノを処分し、家族やたくさんの友人、仲間に別れを告げ、2016年3月にこの修道院に入会しました。
 12月8日に着衣して、今、修練者として養成期を過ごしているところです。

 思い起こせば、私を心から愛してくれた夫を亡くし、寂しさと孤独感で心に大きな穴が開き、その穴を埋めるために仕事やアルコール、食べ物、買い物、人間関係に依存して霊的に病んでいる時、そう人生の荒れ野の中でイエス・キリストに出会ったのです。
「わたしはあなたともに、あなたのためにいる。わたしのもとで心を休ませ、誰もあなたから奪い去ることの出来ない喜びを受けとりなさい。心を尽くして、わたしを信じ頼りなさい。そうすれば、わたしがあなたの道をまっすぐにしてあげよう」という言葉を聞き、倒れていた私は主の愛によって立ち上がったのです。
  .  自ら教会の門を叩き、聖書を学び、洗礼を授けていただき、晴れてクリスチャンになりました。不正直で高慢、自己中心的、身勝手な生き方を回心して、神を必要とすればするほど、神の愛が限りなく私の内に注がれていくことを実感しました。

 ある日、黙想中に突然、
「わたしは日々、一瞬一瞬、あなたにいのちの道を示し続けている。わたしは弟子のペトロに言ったことを、あなたにも繰り返す……わたしに、従いなさい。」という呼びかけの声を聞き、息が止まりそうになるほど驚きました。

 それが修道者への導きのように思えたのですが、まさか中年(?)で結婚歴があり、奔放な生活をしてきたこの私にそのような呼びかけがあるはずがないとずっと否定してきたのですが…。

 信頼している神父さまに修道召命を識別のための霊的同伴をしていただき、私の弱さを通して神が私に豊かに恵みを与えてくださっていること、そして、神を探し求める生活へと導かれ、神が望む姿に造り変えていただいていることを確信しました。
 白子の修道院で全生涯をイエス・キリストにお捧げすることを心から望んでいることを自分自身で確認できたことは大きな喜びでした。

 6月に兄夫婦が、初めてここを訪問してくれました。修道服の私を初めて見た二人は、私だと分かるまでに少し時間がかかりました。メイクをして気取っていた以前の私とはちがい、素顔の無邪気な表情の私は別人のように見えたそうです(笑)。
 この時、院長が挨拶に来てくださり、兄夫婦に、「妹さんは結婚生活と修道生活のふたつの生活を経験して、人の2倍も幸せな人生をおくっていますね」と話してくださいました。元気で幸せに暮らしている私を見て、兄たちは安心したようです。

 修道生活は世間の習慣や価値観、判断基準とは異なり、驚きや戸惑いを感じることもありますが、少しずつここでの生活に馴染んできているような気がします。

 ある一日に、畑を耕し、野菜の種や苗を植えて、手入れをして育てた野菜を収穫する時は胸が躍るほどの大きな喜びを感じます。
  .  神がお造りになった自然と動植物、人間が生命のサイクルの中で共存していることに驚異と感動を覚えずにはいられません。
 神が導いてくださった奉献生活の道を姉妹と共に喜びのうちに歩む私がここにいます。神に感謝!!