命という召命
Sr. Agnes 新美京子 修道院の庭に猫が一匹住んでいます。名前はフータ。 ある日風のようにやってきたからそう呼ばれているとか。昼は修道院の台所からもらって食べ、夜は司祭館の軒先か、茂みのどこかで眠ります。 皮膚はただれ、足腰も弱っているのに、どういうわけかハッとするほど渋くてチャーミングです。 しばらくすると猫の数が増え、若くて綺麗な猫たちも出入りするようになりました。でも、フータほどに心を打つ猫は見当たりません。 皮膚をふいたりマッサージしてあげたりしながら、しみじみとした気持ちになります。 フータ、よかったですね。これまでいろいろなことがあったでしょうけれど、今は修道院のこの庭で皆から大切にされています。あなたもわたしたちと同じように神さまから呼ばれたのですね。神の家の庭で過ごす一日は千日にもまさる、と詩編作者は言っています。どうぞ元気でいてください。 寒さの厳しい日などにフータの姿が見えないと、いよいよ時が来たかと心配になります。 猫は寿命を本能的に悟ると、静かな場所に退いてそこから旅立つと聞きました。 それで尚更、この庭にいるかしら、それとも別のどこかに行ったかしら、と案じてしまうのです。 |
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今のところ一つだけわかっているのは、フータの命自体が神さまからいただいた貴い召命であるということ。 命はそのままで何と美しいのでしょう。。。 フータ、どうぞ最後まで生きてその召命をまっとうしてください。そして安らかに神の御許に旅立ってください。 今まで本当にありがとう。 |