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06 思い出すことから

Sr. 大場幸子さちこ



「私、これがいい」、「私はこれにします」
 小学校2年生の時だったと思う。姉と私と妹で、新しい洋服を作るために渋谷のデパートに生地を買いに行った。周りに家の屋根が見えたから3,4階だったと思う。東側の一角に洋服生地が反物として並べてある売り場があった。
 花柄模様の布地も決まり、私はその場から少しさがって待っていた。

 その時、左のほうから背の高い女の人が細い鋭い目つきで左右をジロジロと見ながら歩いて来た。その人は斜め右前に私がいるのに気が付くときつい表情をゆるめた。そして姉の左側にピッタリ寄りついてから、すぐにその場を足早に去っていった。
 姉は支払いをしようとバッグに手を入れたが、お財布がない! 売り場の人に「その生地の中にお財布が入っていませんか。」と尋ねたがなかった。
 あの女の人はスリだったのだと初めて分かった。

「帰ろう。」と姉が声を低くして言った。
私たちは無言のまま階下まで行き、ハチ公の銅像の側にある交番に行って姉が事情を話した。私と妹は外で待っていた。もしお巡りさんにあの女の人の人相を聞かれたら、はっきり答えることができたが、何も聞かれなかった。
 姉が交番から出てきたので、バスに乗って帰ってきた。多分、バス代もあのお財布に入っていたと思う。
 翌日、交番から電話があって、盗まれたお財布がお手洗いにあったということで姉がとりに行った。

 こんな悲しい出来事を思い出しながら、今年の修道院便りのテーマにしようと決めた数日後、マンションに住む人が1億円余りの貴金属の盗難にあったという新聞記事にびっくりしてしまった。
 宝石商の災難、企業、商売で騙された人達、さまざまな災難にあった人達は、その大、小にかかわらず、悲しく、複雑な気持ちに沈むにちがいない。

“盗むな”イエス様がおっしゃっている。 (マタイ19、18)ベネディクトの戒律 第4章 善いおこないのための道具について 5節盗まないこと とある。(古田暁訳 すえもりブックス)
旧約、新約聖書においても何度も記されているこのみことば。
 悪を重ねていると、心は鈍くなり、益々、悪の道に深く落ちこんでいくにちがいない。その人達は、そう生きざるを得ないのかもしれないが。

イエス様の忠告を心にしつつ、今、悪に染まっていこうとしている人々のために祈り続けている。


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