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07 苦しみから喜びへ

Sr. 船田由美



 28才の時、心は何によっても満たされず苦しみました。

 母の信じていた宗教の本を読み続けるうちに光をいただきました。
「神様を信じて生きることはなんと幸せなこと!」その宗教団体で祈り、学び、愛行をする幸せな日々でした。

 でもその幸せは長くは続きませんでした。
「由美ちゃんは神の子さんよ、素晴らしいのよ」と、いくら言っていただいても自分の心を見ると暗闇があります。 その事を話しても誰も答えて下さいませんでした。私は再び苦しみ始めました。
 そして、その宗教団体にはどうしても行けなくなりました。

 そんなある日、街を歩いていると後ろから声をかけられました。
「あなたを姉妹と思い信号の所から追いかけて来ました」と。
その方は統一協会のいとうさんという方でした。

 いとうさんは聖書と塩狩峠を読むように勧めて下さいました。
 塩狩峠を読み終えて深い感動と共に「どうして知らない人達の為に自分の命を犠牲に出来るのだろうか?キリスト教ってどんな教えだろう?聖書には何が書かれているのだろう?」
そんな疑問が私から離れなくなりました。
 その頃はまだ自転車に乗れていましたので教会を訪ねはじめました。教会って入りにくい所だなあと思いました。そんな時、カトリック松山教会の書店に「マザー・テレサの映画の券あります。」との掲示を見、すぐに券を求めて観にいきました。

 塩狩峠を読み終えた時と同じ感動と疑問が心に広がりました。
私は早速、松山教会を訪ねヴィセンテ神父様から公教要理を学ぶようになりました。神父様が伊丹に行かれた後はルイス神父様が教えて下さいました。17:30からのミサに与るよう勧めていただき私は毎日与りました。

 いつの頃からでしょうか、聖体拝領前の信仰告白、「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠の命の糧、あなたをおいてだれのところへ行きましょう」を心をこめて唱えている自分に気づきました。それは大きな恵でした。

その頃は、まだ母には教会に行っていることは内緒にしていました。母が留守の時に聖書を読んでいました。ある日、エゼキエルの16章を読んでいる時、そこで神様と出会ったと思いました。
「死にかけている私を生かし、育み、私がどんなに罪を犯しても赦して下さる御方」と。

 教会のことはもう心の中にしまっておく事はできなくなり、ある夜、思い切って言いました。
「母ちゃん、私、カトリック教会に行きよんよ。本当に幸せよ!」
「由美ちゃんが幸せなんようわかっとったよ 」
私は驚きました。そしてとても嬉しかったです。

 そして、1980年12月24日にサトルニーノ神父様から洗礼を授けていただきました。
 私が新しい命に生まれる時、そこに母もいてくれました。
 私は受洗前から、松山教会の神父様、信徒の皆様によくしていただきました。育てていただきました。洗礼の恵をいただいてからは、こうして信仰一筋の道を歩ませて頂いています。心からの感謝です。


   神よ、今日わたしの身に起こるすべてのことは、
   あなたが永遠の昔からわたしの善のために予見し、
   備えてくださっていたものと信じます。
   永遠のはかり知れないご計画を尊び、
   あなたへの愛のために、心を尽くしてこれに従います。

   また、わたしの全てを、
   神である救い主イエスのまったき奉献に合わせてささげます。
   救い主のみ名により、また、その限りないいさおしによって願います。
   あなたのはからいによって起こることはすべて、
   あなたのより大いなる栄光と、わたしの聖化のためになるよう、
   労苦に際しての忍耐と、神への完全な従順の恵をお与えください。

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