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11 愛された罪びと

Sr. Maria Ignatia(塩澤幸子)


 今年、11月に教皇フランシスコが日本を訪問してくださるのは私たちにとって大きな喜びです。

 さて、フランシスコ教皇と言えば、2013年に教皇がロー マ教皇に選出された時、イタリアの雑誌のインタビューで、
「あなたは何者ですか?」という記者のストレートな問いに
 教皇は「私は罪びとです」とお答えになりました。
さらに「私は主から見つめられている者なのです」と言われたことが思い起されます。

 この教皇さまの言葉は、私たちが神の慈しみと愛に満ちた眼差し中で生きる愛された罪びとであることを教えてくださいます。私も教皇さまと同じ、主にいつも見つめられている、主から愛された罪びとです。日々の出来事を通して、自分の罪深さを知れば知るほど、そんな自分をゆるし、生かしてくださっている神の愛を深く感じることができるのだと思います。

 以前、ある神父さまから、愛された罪びとについて
「自分は愛されている」という自覚だけで神からのゆるしの体験をもたない人は、私は特別に恵まれていて、他の人より優れているという優越意識や傲慢になる可能性があるということを教えていただきました。
 逆に、「自分は罪びとだ」という自覚に留まってしまうと、「私はダメ人間だから生きる価値がない、愛される資格がない、私はダメ人間だという諦めに陥り、卑屈になってしまうのかもしれません。「私は神から愛された罪びとだ」と心の底から思うとき、傲慢にも卑屈にも陥らず、謙遜になれるのでしょう。
 神は私たちが謙虚になり、自分の犯した過ちを認め、悔い改めることに心を向けた時、自分が神の愛によってゆるされていることを実感することができるでしょう。

 私にとってこれまでの神からゆるされた体験は、神の愛にこたえたい、神の御心 に従いたいという強い望みに繋がっています。日々、数々の失敗や過ちを犯し続けながら、神の愛の眼差しの中で、神のため、姉妹のため、人々のためにお仕えしていきたいと思います。

 最後に、教皇フランシスコの言葉を借りて祈ります。

すべての人が神から必要とされ、愛され、ゆるされていると感じとることができますように



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