ある朝、ミサの前の祈りの時間、いつものように聖書を開け、その日の福音を読み始めた。 その個所は、イエスが弟子たちに「あなた方は私のことを何者だというのだ・・」と問うた個所。 いつもなら、そこで黙想が始まるのだが、突然私はイエス様に言った。 「どうして、いつも私たちに問うのですか? ずるいではありませんか。それなら、今日は私がお聞きしますよ。 私はイエス様にとって、何者だというのですか。」 すると、即座に腹の底から声が響いた。 「お前はわたしの伴侶だよ」 一瞬、私は「えっ!」 それから、嬉しさにジーンとじわじわと喜びが広がっていった。 「花嫁だよ」とか「愛する者だよ」とか言われても今の私は少しも嬉しくはなかっただろう。 あゝこの歳になったら「伴侶」っていい言葉だなあ・・としみじみ思う。 それで、とたんに元気が出て、私はイエス様に言った。 「伴侶なら、どこまでも一緒にいてあげますからね。どこまでもついていきますよ。 一緒に頑張りましょう。一緒に苦労していきましょう。 もう淋しくありませんよ」 とイエスさまを励ましてしまった。 しばらく経って、ふと、それにしても・・と思った。 イエス様の真の伴侶といえるのは、聖母ではないか。 母子の関係なので、厳密にはこの言葉を使うのには抵抗があるが、十字架を負いながら 道を歩まれたイエス様の傍を「頑張って」と心の中で声をかけながら一緒に歩み、 十字架上で苦しまれる我が子を見つめながら、じっと立ち尽くしていた聖母。 「伴侶とはこういうことだよ」と聖母マリアは私に教えてくださったような気がする。 |